このブランドのコンセプトキャラクターが
写真の”カタ”です
このデザインをおこしてくれたのは
やっぱりmako君
私の妄想を聞き取ってくれて
私の妄想をヴィジュアルに起こしてくれるセンスに
今回も脱帽です。
この「工場長」ってコンセプトキャラクターが出来上がったストーリーを
今回紹介したいとおもいます
話は福山市からの依頼で始まりました。
中四国地方のスーパーマーケットにお惣菜を提供している
DCSさんに福山市から”ある”依頼があったのがきっかけです。
DCSさんはもともと地域の野菜や水産物などの食材を
使った商品開発には取り組まれていました
また
食品ロスの問題や
ゴミの問題や流通の問題
さらには、地域支援、ボランティアも含め
さまざまな”食”にかかわる問題に対して
取り組み(チャレンジ)続けている実績があります。
そんな中の一つとして
地元の農家さんと一緒に
さまざまな問題や課題に取り組みながら
新たな商品開発と可能性にチャレンジするプロジェクトがあります。
「工場長」そのキーワードは
地元の野菜を使ったピクルスについての会議の中で生まれました。
生みの親はまさに
ダイエットクックサプライの工場長の一言です
食に対して妥協せずストイックな社風のDCSですが
だからこそ、メリハリはしっかりとしていて、真剣な中に笑いがある
そんな会議だったりします
地元野菜のピクルスのコンセプトなどを
話し合う中で「ネーミング」の話題になり
そのときに出てきたのが
「工場長ピクルス」というワード。
DCSの工場長として冗談交じりに出てきたこの
「工場長ピクルス」って響きに
私はハートを射抜かれました
まず語呂がいい(笑)
でも、魅力はそこでは納まりそうもない
聞いた瞬間に直感で
(これ、すごいかもしれない)と
思いました。
会議の中では
一つのアイデアとして、笑いながら出た
数々のアイデアの一つでしかなかったのですが
私は仕事を終え、自宅で晩酌していても
「工場長」に対してのテンションは収まらず
翌朝おきても、なおテンションはキープされていたので
改めて「工場長」について妄想ダイブすることにしました
わたしの先入観の話ですが
「工業」「工場」などから”食”を通して連想されるのは
「出来合い」「既製品」といった
”手作り”・”あたたかみ”といったイメージとは対照的なニュアンスを
私のような人間は、思い浮かべてしまいますが
実際の工場の中には沢山の「人」がいて
製品にはたくさんの「愛」がつまっている
工場から作られる”もの”には
たくさんの人の「想い」が詰まっている。
そんな工場の人々の「愛が詰まった想い」を象徴しているのが
「工場長」
”長”がつくことでたくさんの”人”が連想されて
人のあたたかみが生まれる。
そんな「工場長」への想いを
デザインに起こしてほしい
そこで白羽の矢が立ったのが
makoくん
私の妄想の「工場長」のヴィジュアルは
産業革命後のイタリアで
炭鉱の親方をしている屈強な男の姿
映画ラピュタのパズーの親方に
ちかいのイメージです
(このイメージはDCSの工場長と一緒に会議でも盛り上がりました)
実際にポーズをとって写真で送ったり、説明のメッセージを送ったり、最後は結局mako君と直接はなして
頭の中の工場長を伝えました
ひどい無茶ぶりだったと思います(笑)
私の奥さんが
贈り物として購入した
福山の藍染バックに
その
私の妄想の「工場長」の姿を
イラストに起こしてもらいました
出来がったイラストは
私のイメージを越えてきて
私の妄想の先をいっちゃってました
わたしには細部までイメージできなかった
その「工場長」がイラスト化されていた時
改めて、(やるな、mako!さすが!)と感心したものです。
福山野菜を使ったプロジェクトは
ピクルスのほかにも
いくつか進む中
この
「工場長」のイラストを
福山野菜を使ったプロジェクトの
コンセプトイメージとして提案しました
採用していただけたのは
①DCSの真摯でありながらチャレンジを惜しまない社風
②makoくんの魂のデザイン
③「工場長」の言霊
そしてやっぱり
私の工場長への愛があっての事でしょう(笑)
現在は
「工場長」のコンセプトを
福山野菜と合わせていくつかの商品開発が進んでいます。
蛇足ですが、、、
ここまでやってきてふと
思うことがあります
「工場」に対するイメージが
”出来合い”・”既製品”であった
「私」が
DCSさんと一緒にお仕事をすることで
そこで働く人の想いや商品が出来るまでの
ストーリーにふれ、
それこそが「工場長ブランド」のコンセプトにつながったのです。
私の父は
「お菓子を作る機械」を作る職人でした(つい去年まで働いてました)
大手のお菓子メーカーから町の小さなお菓子屋さんの
機械まで、具体的には
「もみじ饅頭」とか「萩の月」「東京バナナ」などといった
お土産や
「クッキー」「ポッキー」や「饅頭」「団子」
などなど
さまざまなお菓子を作るその
”機械”を作る職人でした
父の仕事にたいして特に
強い想い入れがあったわけでも
もちろん批判的な気持ちがあったわけでもありませんが
私自身が”手作り”で料理を作っていて
父は”既製品のお菓子を作る機械職人”としてという
どこか
対照的な関係に思っていたのだと思います
そんな思いがどこかありながら
定年を過ぎても会社から求められ働き続けた父に対しての
尊敬とリスペクトがあった私なので
「工場」「工業」に対しての想いは一筋縄でななく
ずっと心に何か、、、「得もいえぬ」
何かを問いかけられ続けてきた言葉だったのだと思います。
まあ蛇足の蛇足ですが
結局は人ですよねって話です。
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