青森出身の両親の間に男三人兄弟の末っ子として生まれました。小学生時代はサッカー大好き給食大好き勉強興味ない(笑)な少年でした。休み時間のサッカーと給食を楽しみに小学校には通って行っていたと思います。両親が青森の出身だったこともあり夏休期間中ずっと青森で過ごしたりもしていました。なので東北弁はヒアリングなら多少イケますww。今思えば東北の地での生活は本当に貴重だったと西日本の広島県福山に住み、より思うようになりました。文化、食文化などはやはり住んでみなければわからない部分が多いと思います。
青森県津軽地方の食で今でも忘れられない『すしこ』や『ホッケの煮つけ』『じゃっぱじる』などなど、特にすしこはとても懐かしくまた興味深いです。親戚のおばちゃんが作るその味は特別おいしくて(少年時代は苦手でしたが)、マネ出来るものではなくて、、でも今はもう二度と食べれなくなってしまいました。なつかしいばかりです、、、。小学生時代はまあまあ目立ちたがり屋なほうだったのかなともいます。6年生の時には運動会の応援団長などもしてみたり(じゃんけんで負けただけですがw)教室で人を笑わせたり、隣に座った女子の成績を下げるくらい話しかけたりする子でした(笑)すみませんでしたw。
小学校は入間市立黒須小学校。自宅から歩いて30分ほどの距離でした。生まれた町は入間市の牛沢町、牛沢って(笑)。最寄りの駅は西武池袋線の仏子駅、仏子と書いて(ぶし)と読みます。仏子って(笑)。牛沢町は入間市の中でのなかなかの自然地帯でしたのでファミコンが大流行の時代ではありましたが、外の遊びの魅力の方が勝っていたのと、ちょうど同世代の子供たちが多かった(いわゆる団塊ジュニア世代)ので、外でみんなで遊ぶことの方が多かったです。今でも懐かしく思い出すのが、『ターザン』遊び、山に登って条件のいい蔓(つる)を見つけ、のこぎりでギコギコ。安全確認したらあーああーとばかりにターザン(笑)。いくつか受け継がれた名所があり、リアルに降りたら死ぬであろうターザン場や、ターザンして戻ってくるときにうまくキックで交わさないと木に激突してしまうポイントなど、、ああ、なつかしや(笑)。落ちたら死んでしまうであろうポイントなどには上級生しか行ってはいけなかったりして、自然と上下関係や力関係がそのころ身についたのではと思ってみたりwwそんな少年時代でした。